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Bicycle−つれづれなること

権力犯罪と民族差別

タイトルを見て,自転車ではなくて,社会問題(!?)と思われたかも知れないが,間違いではない。日常生活で自転車を利用している中で,最大の障害とリスクは何かというと,交通事故や盗難などの犯罪によるものではなく,行政当局によるものであるからだ。

別サイト「都市生活改善ボランティア」で述べたように,私はすでに,利用者が目的を持って移動し,その過程で駐輪された自転車を「“放置”自転車」とみなすこと自体が不当であること,またそれを別の場所に移動するにあたって「撤去」とか「移送」という語を用いることが誤りであること,さらには世界中でこのような愚策が平然とまかり通っているのが日本だけであることを,指摘してきた。

またそれ以前に,同じことを我々民間人がやれば明らかに犯罪に相当することを,行政当局は,条例などを盾にとって正当化して,これを強行している。これはまさに一種の権力犯罪といえるだろう。こうした権力犯罪の過程においては,道義的にはもちろんのこと,彼ら自身をも拘束するはずの法規にさえも反する,さらなる犯罪性が累加するものだ。

その中でも,とりわけ目に余るものを取り上げておこう。

池袋駅東口
池袋駅東口(2001.9.12)
かつては通勤時にpark & rideに利用し,現在もなお買い物などに利用している場所。あろうことにか,2000年4月豊島区当局は,西口に続いて,この池袋東口をも「“放置”禁止区域」なるものに指定し,自転車排除をエスカレートさせた。

(1)権力犯罪

職場が東武東上線沿線にあったとき,池袋駅まで自転車で行きpark & rideしていた。そのころ,池袋駅西口が「“放置”禁止指定区域」とされ,ある日不当にも我が自転車は,行政当局の窃取するところとなっていた。やむなく「保管所」なるところに行き,自転車を探した。ようやっと見つけて乗ってみたところ,ブレーキが効かなくなっていた。搬送時にカンチブレーキのワイヤーが外れたのであろう。

そうして止まらなくなっていた自転車に,この「保管所」の管理員である一人の老人が体当たりしてきたのであった。幸か不幸か,その男に怪我はなかったが,この男はこれに続いて度し難い蛮行をはたらいたのであった。

この男は警察に通報したらしく,間もなく警察官がやってきた。チンピラなどがよくやる「当たり屋」と同様のやり方で,こちらを犯罪者に仕立て上げようとしたのかと思い,かかる権力犯罪に毅然と立ち向かう覚悟をしたのであった。行政当局からしてみれば,「“放置”自転車」への対策としては,罰金や科料より安い「保管料」では「制裁効果」が低いため,こうした冤罪という手段に訴えることは,十分に考えられることであった。

もちろん,この時点で行政当局は,私の自転車のブレーキを破損せしめているのみならず,それによって危険にさらしているのであるから,「器物損壊」どころか,下手をすれば「殺人未遂」に問われてもおかしくないことを,既にしでかしているのだ。いうまでもなく民間人が同じことをすれば,間違いなくかかる罪に問われるであろう。というより,殺してもいいぐらいに憎悪をもつ相手にしか,このようなことはしないであろう。

この男の企んだ「権力犯罪」が,これとは違った質のものであることが,警官の口からでた一言で判明した。

(2)民族差別

やってきた警察官は,開口一番「ガイトウショウを見せなさい」と言った。

「ガイトウショウ」とは,いうまでもなく「外登証」のことである。そのようなものを,私が持ち合わせているはずもない。実際この間,私はこの男と全く口をきかなかった。その必要も意味もないことであった。むしろ,このようなヤカラを,まともに相手にしない方がいいという判断でもあった。これをもって管理員の男が「中国人にやられた」と通報したというのだ。この警官と私の会話が標準的かつネイティヴな日本語で行われたことで,警官は間もなく自らの問いが愚問であることを理解した。やがて彼は去り際にこのようなことばを発した;

「中国人と間違えて,不愉快な思いをさせて,すみませんでした」

事実関係の確認というだけなら,それでもいいかも知れない。冤罪への加担を拒否したという点では,多少は評価すべきことでもあろう。だが,管理員と同様,中国人に対する蔑視という点では,この警官もまた同罪といわねばならない。

テレビで時折映し出される,中国の都市の風景といえば,自転車に乗った大勢の通勤者の人波が定番の映像のひとつであった。パンダなどとともに,中国に対するステレオタイプを形成する上で,自転車は依然として大きな要素なのだ。

80年代以降,中国や韓国のみならず,アジア各地から日本にやってきて住む人が増え,今日に至っている。これは,外見や生活習慣を異にする人たちが,地域社会にやってくることが多くなったことを意味している。そうした中で,彼らに対する違和感が,時として不条理な差別・偏見・恐怖感へと転化した例を挙げればきりがない。

一方,今高齢者となった人たちが,どのような少年時代を送ったのかについても,想起する必要があろう。半世紀ないしは数十年前,学齢期であれば「少国民」として教育を受けたであろうし,成年に達していれば,銃をとって戦地に赴いた者も少なくないであろう。

こうした中で彼らは,天皇制ファシズムへの犠牲を厭わぬこと強要されたのみならず,同時に,ファシスト指導部によるアジア・太平洋諸地域への侵略戦争正当化の過程で,中国人があたかも聞き分けのないならず者であるかのごとく,彼らの脳裏にたたき込まれたのであった。そして戦後民主主義が,こうした彼らのマインドコントロールを解ききることはなかったのである。

現に,このヤカラ以外にも,豊島区内で自転車整理に当たる何人もの高齢者の口から「中国人は勝手に自転車を置いていくから,しょうがないんだ」というたぐいのことばが出てくるのを耳にしている。ある程度親しくなった人から直接聞かされた場合もあれば,彼らの仲間内でそう話している現場を目にしたことも度々ある。在日外国人,とりわけ中国人の自転車保有率が突出して高いということはなく,彼らが整理している自転車のほとんどは「日本人」のものであるはずだが…。

中国近代の研究をしていることもあって,中国語の書籍や雑誌などを持ち歩いていたために,中国人と間違われることもあった。間違う相手がこうした人物だと,民族差別の何たるか -- 少なくともその一端 -- を,骨身にしみて理解せざるを得なくなる。

アジア人民に対する新旧の差別・蔑視意識が,自転車を媒介にして結合・実体化した情況は,今なお続けられている。

日中十五年戦争勃発70周年(9.18)を前に。

(2001.9.12)

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