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Bicycle−つれづれなること

顛倒

佐々木幹郎著『自転車乗りの夢』

先日,近くの図書館で,佐々木幹郎著『自転車乗りの夢』という本を見つけた。

タイトルだけをみて早速借りて帰ったが,自転車について触れているのは最初の十数ページだけだった。

そこでは,萩原朔太郎のエッセイ「自転車日記」が紹介されている。大正末期の前橋で,同地では滅多にみることのできないハイカラな自転車を所有していたという朔太郎が,自転車に乗り始めたのは,1921(大正10)年,朔太郎36歳の時だったという。

貸自転車を借りて練習する中で,何度も繰り返したのが「顛倒」である。通常今日では「転倒」と書くところだが,ひっくり返って地面に叩きつけられる痛みは,やはり「顛倒」という文字でなければ伝わってこないものがある。もっともここまで「顛倒」との闘いを繰りひろげた人は少ないであろうが。

「今日ヨリ自転車ヲ習ハント欲ス…操縦スコブル至難。ペダルヲ踏メバ忽チ顛倒す…身体痛苦甚シ。」(12月20日)

「今日初メテ正常ニ走ルヲ得タリ。快言フベカラズ。然レ共直行ノミ。曲折セントシテ把手ヲ転ズレバ,瞬間忽チニシテ顛倒ス。」(12月23日)

この後街に出て走ったところ,歩行者を避けようとして,崖にぶつかって負傷し,壊した自転車を弁償させられた。一度は,再び自転車に乗るまいと思ったものの,やがて気を取り直して練習を再開する。一月ほどで,前橋市内を回れるようになり,地図と磁石を持って遠乗りをするようになる。数年後,前橋から往復40kmもある,国定忠治の墓を訪ねるサイクリングをして,途中の風景を,一篇の詩「国定忠治の墓」に詠むにいたる。同書ではその紹介と批評がされているので,その方面に興味のある方はお読みいただきたい。

ところで,皆さんはどのようにして自転車に乗れるようになったのだろうか。

小さいときに補助輪付きの自転車で練習して,慣れてきたところで外してもらったのだろうか。
それとも後で支えてもらって練習したのだろうか。
大きくなってから,必要に迫られて練習した人などは,恥ずかしさの方が先に立ったであろう。

自分の自転車乗りの“原点”ふり返ってみるのもいいだろう。

(2001.6.14)

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